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五節句

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五節句

五節句(ごせっく=又は、五節供とも書く)

節とは季節の変わり目の事を言い、中国暦(太陰太陽暦)で言う一年を二十四の節目に分けた「二十四節気」を補うものとして定められたものの一つで、暦の内でも最も気候の変わり目が激しい節目に当たる五つの節を付設し、この期を無事に過ごせるようと無病息災の厄祓い日とした風習が日本に伝来したものです。
「節句」の語源は、宮中・公家・武家の行事において、天皇や上皇又は将軍などが供した飲食物を供御(くご=くぎょ、とも言う)と言い、その内で節に供された供御を節供(せっく)と言ったことからきていると言われています。 五つの節である五節句は以下の通りです。

人日(じんじつ)の節句:1月7日

文字通り人の日とされ、過去1年の厄払いをして、これから一年の無病息災と招福を祈願する日とされています。この日に七草粥(ななくさがゆ)を食べるという習慣は一時失われかけていましたが、現在では復活して一般家庭に再び定着してきたようです。七種の野菜や雑草の入った粥に餅を入れたもので、これを食べると万病と邪気が祓われると言われていますが、正月の「箸休め」とも言われるだけに、七種の中身は胃腸の調整を計る薬草代わりにもなるようです。

上巳(じょうし)の節句:3月3日

3が重なることから重三(ちょうさん)とも言われ、女児の節句である雛祭りの日です。元々は川で身を清めて不浄を流し取るという習慣から、平安時代には自らの不浄を人形(ひとがた)の紙片(形代)に託してお祓いを受けたり、後には紙人形に託して川に流す(流し雛)風習に変わり、更にそれがお雛様を飾るという現在の風習に変化してきたようです。一般家庭で、お雛様を飾って女児の節句として祝うようになったのは江戸時代中期に入ってからと言われています。
誕生後初めての節句を「初節句」といって、両家の祖父母も交えて家族揃って盛大にお祝いをしますが、長女の初節句には妻方の実家よりお祝いとして「雛飾り」を贈るのが習わしとなっています。お雛様には、桃の花・白酒・菱餅などをお供えします。

端午(たんご)の節句:5月5日

五が重なることから重五(ちょうご)とも言われ、男児の節句である端午の節句です。古代の中国では、邪気を祓うと言われて菖蒲と蓬(よもぎ)を束ねて戸口に付けたり、薬草として菖蒲酒を飲んだり、薬湯と称して菖蒲湯に入る習慣がありました。
日本に伝来して以後、菖蒲が尚武(武事・軍事を重んじること)に通じるとして、尚武の節句とも言われて、勇ましく丈夫に育つようにと願って、男の子の節句としました。
誕生後初めての節句を「初節句」といって、両家の祖父母も交えて家族揃って盛大にお祝いをしますが、長男の初節句には夫方の実家よりお祝いとして「鯉のぼり」や「武者飾り」を贈るのが習わしとなっています。
地区によっては「フラフ」を贈るところもあるようです。武者飾りには、菖蒲・粽(ちまき)・柏餅などをお供えします。鯉のぼりを揚げるのは、「鯉が黄河を上って龍となった」という中国の故事にあやかった習わしのようです。

七夕(ひちせき)の節句:7月7日

現在では「たなばた」と言いますが、天の川を挟んで位置する織姫星と牽牛星が、この日に一番近付くことから生まれた中国の古い民話による織姫と彦星の話は余りにも有名です。本来は女性の習字や裁縫の上達を祈願する日であったようですが、日本に伝来して以後は、「習字の上達を祈願して」笹に願いを書いた短冊を付けて飾る風習が生まれたようです。

重陽(ちょうよう)の節句:9月9日

九が重なることから重九(ちょうきゅう)とも言われますが、陰陽道では「九」は陽の最上級の数字とされ、陽が重なることから重陽と言われて非常にめでたい日とされていました。
日本では、宮中や公家の間では菊の節句とも言われて菊酒を飲んで長寿を祈願したりする「菊花の宴(又は重陽の儀)」が、武家では武家の祝い日として盛大にお祝いの行事が催うされましたが、現在では特別な行事は行われていません。

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