熨斗(のし)
熨斗(のし)の由来
金封についている熨斗や、のし紙やのし袋に印刷されている熨斗の原形は、白い和紙の上に赤く染めた和紙を重ね合わせ、束ねた伸し鮑を包んで水引で止め結んだもので、祝賀の贈答の際に贈り物に添えて用いられていたものが、後に疑似簡素化したものです。
「熨斗」という呼称の由来は、伸し鮑の製法が鮑を伸して作られたことからくる「伸した鮑」が、「熨斗鮑」に転じたものが省略されて「熨斗」となったという言い伝えと、儀礼作法の包み方の一つに伸し鮑の包み方を「熨斗折り」と称したものが「熨斗」に省略されたという二つの言い伝えがあります。
伸し鮑の製法は、貝の鮑をかつら剥きに長く切り伸ばし、生干しにして木槌で叩き伸ばして、藁筵(わらむしろ)の上で天日にさらして乾燥干しにして仕上げたものです。四方を海に囲まれた日本では、昔から海の幸に恵まれ、特に鮑は重要な食物で古来より神事のお供え物として用いられてきました。伸して干した鮑は、栄養価が高く長持ちすることから中世には武家の出陣や帰陣の祝儀に用いられ、戦場の貴重な保存食ともなりました。江戸時代には長生き長持ちの印と重宝がられ、祝事や慶事の儀式に高価な贈答品として用いられるようになり、時代の移り変わりと共に前述の和紙に包んだ「熨斗」を贈答品に添える風習が根付きました。
「金封」の疑似熨斗は「折り熨斗」と言われるもので、明治以降に一般庶民の間にも贈答習慣が広まる中で疑似簡素化されたものであり、印刷の発展とともに「のし紙(又はのし袋)」が発明されてデザイン化した熨斗が生れたのは大正時代の末期になります。
※鮑は元々なま物なので、贈答品がお祝い用であっても、なま物(肉や魚貝類=貝類・鮮魚・精肉・鰹節など)が重なることを嫌って「熨斗」を付けません。また、元々お目出度い贈答品に用いられていたことから、弔事全般、病気見舞い、災害見舞いなどには、熨斗は付けないことになっています。
熨斗(のし)のデザインと位置
のし紙やのし袋の熨斗のデザインが、慶弔用品メーカーによって異なっています。大きく分けて東日本と西日本によって異なっており、東日本の熨斗は濃紺色に黄色の松竹梅を簡素化して配したデザインで、江戸の粋(いき)の流れを汲んだものであるのに比べ、西日本の熨斗は松竹梅と鶴亀をモチーフに多色刷になっているのが特徴で、京の華ぎ(はなやぎ)の流れを汲んだデザインとなっています。
また、熨斗の配置箇所も東西で異なっており、東日本は熨斗が水引に掛かっているのに比べ、西日本の場合は水引から離れた位置に熨斗がデザインされています。東日本のそれが、左右に結ばれた水引に挟み込む形で添えられていた本来の熨斗の取り付け位置に近いデザインであるのは、古来よりのしきたりを出来るだけ踏襲したいとの考えからであり、西日本のそれは新しい慶弔文化を作り育てようとする考えから発祥しています。