のし紙のサイズ名の由来
のし紙のデザインでは、贈答目的により水引の色や本数及び結び方に加えて熨斗の有無により使い分けられています。
のし紙のサイズには、洋サイズであるJIS規格のA5判・B5判・A4判・B4判・A3判以外に、日本古来から伝わる和サイズの本中判・半紙判・みの判・中杉判・大杉判などがありますが、それぞれのサイズの呼び名になった由来は以下のとおりです。
本中判(ほんちゅうばん、東日本では切手判=きってばん、という)
本中判はみの判を半分にしたサイズで、以前にみの判を本みの判と称していた時代に、その半分を本中判(ほんちゅうばん)、その又半分を本小判(ほんこばん)と称していた。
本みの判がみの判となったのは、東日本でみの判と称していたものに呼称統一したから。本中判を東日本で切手判と称するのは、江戸時代の切手と称していた公式約定書のサイズがこのサイズであったことから来ている。
みの判(みのばん)
江戸時代に武家社会からの要望により生まれた和紙のサイズで、当時一般庶民に使用されていた半紙との差別化を図る目的から、半紙より一回り大きいサイズのものが用いられるようになった。
初期のサイズは各藩バラバラであったものを、尾張藩が美濃地方で作らせたものを全国の統一サイズと改めたことにより、美濃で作られたサイズということから「美濃判」という呼称が生まれた。
当時のサイズは、短寸側9寸(29、7cm)、長寸側1尺3寸(42、9cm)であったが、印刷後に化粧断ちを施すことから更にサイズがちぢまり、短寸側が27、3cm、長寸側が39、3cmとなり、明治以降も日本の標準的サイズとなった。
半紙判(はんしばん)
古来の日本で多用されていた和紙のサイズで、短寸側が8寸(24、24cm)、長寸側が1尺1寸(33、33cm)のものを「半紙」と呼んでいたが、これは当時手漉きにより作られていた全判サイズの半分に当たることからきており、現在も書道半紙などはこのサイズが踏襲されている。
のし紙の「半紙判」の呼称起源もここからきている。現在の「のし紙の半紙判」がこのサイズと異なるのは、全紙の一つである菊判の原形となったダリヤ商標の輸入紙であるサイズが、単寸側70cm、長寸側100cmにて、丁度半紙が8枚取れるサイズであったことから印刷用にこれが用いられたが、後にこれが原形となって菊判が誕生したのちも、その菊判の8枚取りの寸法を半紙判としたが、印刷後に化粧断ちを施すことから更にサイズがちじまり現在のサイズとなった。
中杉判(ちゅうすぎばん)・大杉判(おおすぎばん)
古来より、武士や僧侶が贈り物に盛んに用いていた和紙に杉原紙(すぎはらがみ)というものがあり、そのサイズに近いサイズであったことから杉判の名が付いたが、奉書(柾判)のサイズを併せて設けたことから、大きい方を大杉判、小さい方を中杉判とした。